渋谷天外、小島慶四郎さんは「いつも昼寝してはる顔そのままでした」

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渋谷天外、小島慶四郎さんは「いつも昼寝してはる顔そのままでした」
小島慶四郎さんの通夜に駆け付けた渋谷天外【拡大】  23日に老衰で亡くなった松竹新喜劇のベテラン俳優、小島慶四郎さん(享年88)の通夜が25日、大阪市阿倍野区の「やすらぎ天空館」で営まれ、同新喜劇代表で座長の渋谷天外(65)ら約80人が参列した。 天外は訃報を聞いた23日に自宅を訪れ、対面。「顔も安らかで、いつも昼寝してはる慶さんの顔そのままでした」と明かした。 「『お前のおやじ(先代の天外)に殴られて、よぉ~1万円もろた』って言うてました。殴ると同時に目の前に1万円。今の10万円に近いでしょ。藤山寛美さんも父も“1万円はお金安らかない”みたいな使い方してましたから。昔の話をよぉ聞かせてもらいました」 ここ10年ほどは座長を立て、「天外さん」と呼んでいた小島さん。しかし、天外(当時は天笑)が1984年に新喜劇を休団して上京し、91年に藤山寛美さんが亡くなった後の新生松竹新喜劇代表に就任したころは衝突が絶えなかった。 「新喜劇に帰ってきてしばらくはけんかしてました。怒られ、逆に怒り。僕が36歳で、兄ちゃんは50代のパリパリでしたからね」 時には舞台の上で小島さんに「こんなことしてたら、おやじ(先代の天外)が泣くぞ」と言われて、「こっちも腹立って、幕が下りてから『なんだんねん!!』って言いに行ったこともあった」という。「今となっては、その一言一言のおかげで、今の僕自身がいると思う」としんみり。 新喜劇は京都・南座で「初笑い!松竹新喜劇 新春お年玉公演」(来年1月1~8日)を控えるが、「弔い合戦というと正月のお客さんもねぇ」と追悼公演は未定。 「息子さんが、ひょっとしたら新喜劇に入るかもしれませんてお孫さん(3歳、女児)の話をしてました。新喜劇がそれまで続いていってたらありがたいこと。今度は僕が藤山扇治郎君のケツ蹴飛ばさな」。小島さんの代わりに松竹新喜劇イズムを後進にたたき込む。
[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 渋谷天外、小島慶四郎さんは「いつも昼寝してはる顔そのままでした」